BLOG

愛猫の旅立ち

愛猫源二郎が12/14早朝にお空に旅立ちました。



まだ6歳でした。

主人が寝ている部屋の窓辺からドサっと落ちる音がした後に兄弟猫の源三郎が異様な鳴き声で源二郎に噛みついていたそう。

主人はいつもの喧嘩かと思ったけど源三郎が源二郎の首元を噛みつき振り回そうとしてるのに源二郎が全く動かないことに気付き

私が寝ているところに「源二郎が死んだ!!」と源二郎を抱っこして飛び込んできました。

瞳孔が開きだらんと力が抜けていました。

何が起こったのか全く分からなかったのですが、まだ体は温かく急いで蘇生のレメディーを口に入れ心肺蘇生をしました。

酸素ミストを鼻に当ててもらいながらうろ覚えの心肺蘇生をとにかく続け何度もレメディーを口に入れました。

舌は真っ青で瞳孔も見開いたまま。

主人が寝ていた部屋でケッッと最後に言ったのを主人は聞いたらしくそれが最後だったかもしれません。

心臓も止まっていたかもしれないけれど

死なないで!戻ってきて!早すぎる!
残された源三郎はどうなるの?!

と無我夢中で心肺蘇生を続けました。

30分経ちもう逝かせてあぜようと家族みんなが見守る中お空に旅立ちました。

突然の出来事でしたがおそらく心臓(血栓)ではないかと何人かから教えていただきました。

あまりにも早すぎる突然の死。

夏から私の体調が悪くこの2週間は特にひどくてお散歩が大好きでお外に行きたいとずっと鳴いている源二郎にイライラしてしまっていました。
自分と仕事のことで精一杯で源二郎に構ってあげられなかった後悔や
血液検査で気になる項目があったのに軽視してしまった私が死なせたとわんわん泣きました。

心も体も崩壊寸前でした。

こんな体調と源二郎が旅立ったショックでこれからどうしたら良いか分からなくて
自分も守れない人が家族も人様の犬猫も守れないと思いました。

我が家に源二郎兄弟を迎えた6年前、長いブランクを経てトリマーに復帰して間も無く
学生以来何一つ学んだこともなく無知なトリマーでした。

源二郎と源三郎を迎え、手作りごはんを食べさせたくて学び始めたのを機に
無我夢中で食べてくれる源二郎たちを見て手作りごはんの素晴らしさを実感し、これを伝えていきたいと一生懸命勉強し講座を開きました。

その後皮膚が悪い子をサポートするトリミングサロンを開きたいという夢ができ沢山勉強し経験も積ませていただき昨年皮膚専門トリミングサロンNamiをオープンしました。

沢山の犬猫さんに関わらせていただき
沢山の飼い主様に感謝していただきました。

源二郎は特に大の食いしん坊で食べる喜びがどれほど犬生猫性を豊かにするか私に教えてくれた子です。

私が行う皮膚のサポートもほぼ手作りでの食事ありきです。
その学びのきっかけをくれたのです。

夜中も二階の娘たちの部屋と一階のリビング、和室を行き来して遊んでいる源二郎たちは亡くなる時たまたま和室の主人の部屋に二匹でいました。

主人の傍でなければ間違いなく誰も気付けなかったです。

朝起きて源二郎が亡くなったのを発見していたら、立ち直れなかったと思います。

誰よりも愛情深く可愛がってくれた主人の元でいつもずっと一緒にいた兄弟の源三郎が必死で異変を教えてくれました。

源二郎と源三郎に出会ったのは譲渡会でした。事前にサイトで見ていた猫たちの写真を見て、私が可愛いと言っていた子と主人が可愛いと言っていた子が兄弟猫で同じゲージに入っていました。

それが源二郎と源三郎でした。硬く強い絆で結ばれていた兄弟でした。



源三郎と家族5人が見守る中やれるだけのことをやり見送ることができました。

後悔は沢山あります。
思い出しては涙が止まりません。

でも源二郎の死を無駄にしないために私は源二郎に約束することにしました。

私は亡くなる前まともに源二郎と関われなかった。

こんな後悔は二度としたくない
残された源三郎を大切にしたい

源二郎のおかげで学ぶ楽しさを知り、今誇りに思っている自分の仕事をこれからも続けたい。

だから私は源二郎のために元気になってずっと今の仕事に邁進します。

そんな姿を絶対に源二郎に見せると強く強く約束しました。

旅立った源二郎の分まで私は元気になる。

少し時間はかかるかもしれませんが、来年の命日にはとびっきり元気なお母さんになってる、
絶対に。絶対に。

トリマー橋本なみと関わって何らかの影響や刺激を受けてくださった方がいたらそれは紛れもなく源二郎のおかげなんです。

源二郎は私の人生において素晴らしい道標を示し私の人生を変えてくれました。

だから私への言葉かけではなく源二郎にありがとうって心の中で言ってあげてください。

お母さんからも、

源二郎ありがとう。大好きだよ。
大好き!!!!














iPhoneから送信